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自社より強い競合との戦い方とは

織田信長に学ぶ、

今川義元が2万5千(4万5千ともいわれる)、2千人足らずで、信長が勝利を収めた。以下、出陣の際の信長の檄である。

「皆、よく聞けよ。今川の兵は、宵に腹ごしらえをして夜通し行軍し、大高へ兵糧を運び入れ、鷲津・丸根に手を焼き、辛労して疲れている者どもだ。こっちは新手の兵である。しかも少数の兵だからといって多数の敵を恐れるな。勝敗の運は天にあるということを知らぬか。敵がかかってきたら引け、敵が退いたら追え。何としても敵を練り倒し、追い崩す。たやすいことだ。・・・合戦に勝ちさえすれば、この場に参加した者は家の名誉、末代までの高名であるぞ、ひたすら励め。」

(解説)

信長は岩倉城攻略で尾張の大部分を抑えたものの、未だ今川方にあった。そこで信長は鳴海・大高城の攻城戦に取り掛かろうとした。これに今川義元本体が駿府城を出陣した。義元の本隊は鳴海城の救援に向かい、中島・善照寺等を攻撃する予定であった。そして信長が救援に出陣してくれれば打ち破るつもりであった。

兵隊の数だけを見れば、かなり無謀だったと言えるが、劣勢で遭遇戦を戦う場合、敵の主将の首を狙う以外にないと考えた。そこで敵の大群が分散しているときにチャンスがあると思ったに違いない。2千人足らずと言っても、信長の兵隊は親衛隊であり、鍛え抜かれていた。一方、今川軍の数は多かったが、その大部分は非戦闘要員であった。そして主将たる義元を討たれた今川軍は、敗走したのである。

奇襲とも言われているが、一発逆転を目指して、敵陣を襲ったら、実は敵の本陣であり、少ない兵隊でも、敵の対象である今川義元を討ち取ることができた、とも言われている。また、檄も良かった。多数だからと言って恐れるな、相手は烏合の衆であると。そして勝てば末代までも家の名誉となるのだと。

現代社会においては、TOB(公開買付)のようなケースでなければ、露骨に競合企業が敵対するようなシチュエーションはない。近くの競合店がセールをやれば、ウチもやるようなことはあるが、それでもどちらかが潰れるまでやるということは稀である。セールをやりすぎると持たないので、相手が潰れるまでは仕掛けられないのだろう。もっとも大資本と小さな店では同じことをやっていたら、小さな店は当然のことながら持たない。

戦力的に劣ると思ったら、最初から敵将の首を取れ、といっても流石に地元の小さな店がチェーン店相手に戦って、東京本社に殴り込みをかけるような無謀なことはしても意味がない。敵将とは、顧客であって、顧客が取れればいいのだ。そう考えれば、大企業のチェーン店にはチェーン店にふさわしい顧客がいるだろうし、そのチェーン店と同じことをしていたらダメで、独自のコンセプトを掲げ、それに共感を持ってくれるお客を集められればいいだけのことだ。最初から同じ土俵で戦うなと言うことなのだ。

[教訓]

〇戦力的に劣ると思ったら、別の土俵で戦え。

〇競合店と戦って勝ち目がないと思ったら、別のお客様を取りに行け。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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